山上の説教は、私たちの体験に背き、私たちの限界を明らかにし、途方に暮れさせたり、落胆させたりする。しかし、ここに語られているのは主イエスの理想である。現実に負けない理想である。観念に終わらない理想である。この理想が実現するために主イエスが十字架に死んでおられる。主の十字架と復活の光の中で聴いて初めてわかる言葉である。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、321頁
2020年10月30日(金)
山上の説教は、キリスト者が生きるべき新しい律法が記されていますが、それは十字架と復活の光の中で読むべきものであり、新たな律法主義に陥るために書かれたものではありません。エレミヤスの『新約聖書の中心的使信』が参考になるかもしれません。
「理想」ということばをどこか現実離れしたこととしてちょっと否定的に使うことがあるかと思いますが、本来理想は私たちが生きる上で大切なことです。行為の原動力です。罪赦された、永遠の命が約束されたといって開き直って生きるのは、キリスト者ではありません。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。・・・」(マタイ5・3~)