からだが腐ってしまう罪人でしかないゾシマであるからこそ

からだが腐ってしまう罪人でしかないゾシマであるからこそ、主の祝宴に招かれた。そして自分の同じ罪人として主に招かれている。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、311頁

2020年10月20日(火)

奇跡を目の当たりにして信仰を持つということもあるでしょう。奇跡のことを聖書は「しるし」といいます。しるしというのは何か別のものを指し示している道具のようなものです。指し示しているその先に存在しているのは神さまご自身です。ですから奇跡によってその奇跡が指し示している神さまを信じるということが、聖書の語る信仰です。

「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」(ヨハネ2・11)