神に信頼しきるように

財産を愛に用い尽くすことを求められ、悲しみに溢れて去った青年の後ろ姿を見送りながら、主は弟子たちに、財産を持つ者にとって天の国に入るのは不可能に近いと言われた。弟子たちは、驚いた。それでは、金持ちだけでなく、誰も救われないことになるのではないか。主は、だが、人間にはできないが、神にはできる、と言われた。主イエスは弟子たちを「見つめて」そう言われた。弟子たちを、この神に信頼しきるように招かれた。主のまなざしは、弟子たちのこれからの歩みをすべて見抜いておられるまなざしである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、156頁

2020年5月25日(月)

金持ちが天国に行くのは難しいが、貧乏人にはたやすいことである、といわれたのではないようです。お金を持っているとそれを失うのに躊躇するけれども、無い者にとっては身軽なので、天国は近いといわれのではないのだと思います。金持ちが、イコール、天国から遠いと言われたのではないのだと思います。

金持が天国に行くのが難しいならば、だれも天国に行くことができないではないか、と、弟子たちは驚いたのです。

それに対してイエスさまは、人間にはできないが、神には何でもできる、と言われました。すなわち救いというのは神さまの一方的な御業であると言われたのでしょう。

だからこそ、救いは私たちの側にどのような変化があったとしても、変化しない神さまの恵みなのです。

「イエスは弟子たちに言われた。『はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言った。イエスは彼らを見つめて、『それは人間にできることではないが、神は何でもできる』と言われた。」(マタイ19・23-26)