永遠のいのちを得るのにどう生きたらよいか、一所懸命に主イエスに問うた青年が主イエスのもとを去った。弟子になりそこなったのである。だが、私たちはこの青年の話を、どのように聴くのか。・・・自分は金持ちではないから大丈夫だと思うのか。財産があってもそれを持ち続けて貧しい人びとに施してもいないことに後ろめたい思いを抱きながら、この物語は読まないことにしているのか。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、155頁
2020年5月24日(日)
律法を守ってきたのにもかかわらず、こころの中に永遠のいのちへの確信がない、何が足りないのか、さらに何を得る必要があるのか、と必死に問いかける青年に、得るのではなく、献げること、自分の手に入れようとするのではなく、自分の手から離すこと、満たそうとするのではなく、空っぽになろうとすること、そのように人生の方向が間違っているので、永遠のいのちへの確信がないのだ、とイエスさまは言われたような気がします。
「イエスは言われた。『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」(マタイ19・21,22)