白い衣の人びと、それは殉教者であると牧師は静かに言う。殉教者は「証人」という意味の言葉である。証人として生きるキリスト者は既に殉教の思いを知ると説く言葉が私を揺さぶり続けた日々を今も忘れない。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、147頁
2020年5月16日(土)
殉教と自殺の違い。殉教は限りなく自分以外のものへの愛の故に死を受容するということだと思います。それに対して自殺は、限りなく自分への愛、あるいは執着に縛られて、絶対的な解決を与えてくれると信じた死を選択するということでしょう。愛の方向が違うということです、そしてその愛の方向の違いこそ、それが愛であるかどうかの判断基準でもあると言えるのだと思います。神さま以外のものへの愛は執着であり、それこそ偶像礼拝なのです。神さまへの愛は、その神さまが愛そのものであることを明らかにされたお方である限り、私たちを執着から解放し、真の愛に生きるものへと導きます。この真の愛に生きるものに、白い衣が与えられるということでしょう。あるいはこの真の愛に生きるということそのものが、白い衣といってもよいのかもしれません。
「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ。『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。』すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。」(黙示録6・9-11)