私たちは主人にはならない。罪に仕えるか、神に仕えるか、どちらかである。神に仕えること、それは「伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従う」ことである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、43頁
2020年2月6日(木)
自由ということは自分のやりたいことを貫くことである、と考えるときがありますが、それは自分の願望の奴隷になっているだけであって本当の自由ではないと聖書は語ります。人間は神さまにお仕えすること、神さまに従うことによってはじめて本当の自由になるのです。神さまに仕えることとは、伝えられた教えの規範を受け入れること、それに心から従うこと、です。伝えられたとは、どこに伝えられたのでしょう。どのように伝えられたのでしょう。それはおびただしい数の先輩のキリスト者たちによって、です。それを教会といいます。キリスト教の救いは教会が前提となっているのです。教会をはなれては救いはないということになります。
「知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。」(ローマ6・16-18)