私たちは、自分のこころが複雑であることを誇っている。・・・問題は、複雑なこころがまっすぐではないことである。神が造ってくださったようにまっすぐではない。・・・複雑に曲がったのは、罪のためである。造り主のみ名を畏れるまっすぐなこころを失ったのである。主が幼な子のようなこころを求められたのも、これに関わるのではなかろうか。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、39頁
2020年2月2日(日)
罪、すなわち神のようになりたいという心が、人間を複雑なものとしたということでしょうか。この罪による複雑さが、自分と生きる、ということを難しくし、どうじに隣人とともに生きるということを難しくしているのだと思います。まっすぐに、単純に神さまを見上げ神さまを信じることが、自分と、また隣人とともに生きる、健やかに生きる道を拓きます。
「ただし見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが/人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。」(コヘレト7・29)
「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10・15)