パスカルは言いました。「神が祈りを設定なさったのは、神の被造物に因果の尊厳を貸与して下さるためだった」と。祈りだけではありません。私たちが何らかの行為をなすとき、神はいつも私たちに御自身の尊厳を貸与してくださるのです。
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行ってみれば毎時毎分、ほとんど一種の神の主権の放棄が行われているようなものです。私たちはただ受けるばかりの者ではありません。単なる傍観者ではないのです。私たちは競技に参加する特権を与えられているか、それとも仕事に協力するように、すなわち私たちの<小さな三又槍>をふるうように強いられているか、どっちかです。この驚くべき経過こそ、私たちの眼前に展開する創造のわざそのものなのかもしれません。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、450-451頁
2019年11月17日(日)
全知全能の神が、私たちに御自身の尊厳を貸与してくださる、それが祈りであり、また信仰生活である、といいます。これは人格をお持ちの神さまと人格的な交わりをしている者にしか理解できない神秘なのだと思います。
「彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(マタイ6・8)
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイ7・7-8)