被造物にふさわしい善とは、それ自身を創造主に委ねることです―つまり、自分はつくられたものであるというぎりぎりの事実のうちに与えられている神との関係を、知情意のすべてにおいて具現することです。そうするときにはじめて被造物は善であり、幸福なのです。
・・・
創造主によって与えられた意志が、喜ばしい、また喜びを相手に与えようとする服従においてまったきささげものとしてふたたび差し出されるとき、そこにこそ、疑いもなく天国があるのですし、聖霊が働きたもうのです。
私たちが現在知っている世界で重要なことは、この自己放棄をどのようにしてふたたび人間の姿勢とするかということです。
・・・
私たちは武器を捨てて服従しなければならない反逆者なのです。私たちに加えられる治療が痛みを伴うのはなぜかという質問に対する第一の答えはしたがって、私たちが長いこと自分のものだと主張してきた意志を返すことは、どこで、またどのように返すにしても、それ自体堪えがたい苦痛に違いないというものです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、373-374頁
2019年9月24日(火)
神さまが神さまを愛するために人間に与えてくださった「自由意志」を、神さまへの献げものとするところに、人間の幸福がある、というのです。この幸福への道は、罪人である人間にとっては苦痛を伴います。自分に死ななければならないのです。
「かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(フィリピ2・7-9)
「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。」(ヤコブ4・7)