クリスチャンらしくない自己嫌悪は、悪魔的な人間をつくりだす危険があります。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、275-276頁
2019年7月13日(土)
私たちは罪びとです。罪びとですから嫌悪されるべき者なのかもしれません。しかし神さまに愛されている者です。神さまに愛されているのですから、嫌悪すべきものではありません。いたずらな自己嫌悪は神さまのみこころではないでしょう。神さまのみこころでない道を歩むならば、その道は破壊と滅びへの道でしょう。自己を破壊するとともに、隣人をも滅ぼしてしまう者となるでしょう。
私たちは罪ゆるされた罪びとなのです。まず私が私を愛さなければなりません。私が愛することのできないような私をいったい誰が愛してくれるでしょう。
私が私を愛し始めるならば、そのような愛されている私を他の人びとも愛してくれるのではないでしょうか。
ただ私は私を正しく愛することができません。神さまから愛を学び、その愛によって愛さなければなりません。
「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」(コロサイ3・12)