復活の主が声を発し、目に見える姿をもっておられたということについては、私たちにもある程度の心備えがあります。しかし触ってはならない体とはいったいどのようなものでしょう? 父のみもとに上るとは何を意味するのでしょうか? 主は、重大な唯一の意味で、すでに父とともにあられたのではないでしょうか?
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、156-7頁
2019年4月20日(土)
十字架ののち復活されたイエスさま。そのからだは、霊的でありかつ肉的です。
復活のからだは、私たちが地上で理解しつくすことのできることをはるかに超えています。地上のからだの延長であれば、ある人にとっては復活は呪いとなるでしょう。しかし聖書の語る復活は「新しいからだ」をいただくことなのです。
また復活の主は父なる神さまのもとに昇らなければなりません。
聖書は一貫して神さまが三位一体の神様であることを示します。
「この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。」(エフェソ4・10)