ずっと昔からユダヤ人も多くの民族と同様に、人間には魂というものがあって、それは肉体とはっきり切り離されうるものだと信じていました。
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時代が下りますと、正しい者は死とともに天国に移されるという、ずっと明るい信仰が起こりました。どちらの教義も、ギリシャ人や現代のイギリス人が理解しているような意味での霊魂不滅の教義です。けれどもそれらは主の復活の物語とは、まったく無関係です。新約聖書の筆者たちは、主の復活をまったく新奇な出来事と見なしています。
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心霊学の研究者たちが仮に死後における霊魂の存続を証明することに成功し、復活がその一例であると言ったとしても、それはキリスト教の信仰を支持する言説ではなく、かえってそれを反駁するものと言えます。そうした現象が復活に際して起こったことのすべてであったとすれば、本来の福音は偽りとなってしまったでしょう。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、153-5頁
2019年4月18日(木)
主イエスさまの復活の出来事は、人類史上全く新しい出来事であったということでしょう。そして従来人間が抱いてきた思想とはまったく相容れない出来事であったということでしょう。
絶望でしかなかった死が、まったく新しい希望に結びつけられたのです。新しい希望によって、今生きる人生を豊かな人生としていただいたのです。
「イエスは、『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた。弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」(ヨハネ21・12-14))