現代の性本能が

貞潔がクリスチャンの掲げる美徳のうち、きわだって不人気だということは明らかです。キリスト教は昔から一貫して、「結婚してつれあいに対して節操をつらぬくか、独身を通すか」と命じてきました。
これは現代における性本能にまったく相反する、むずかしい命令です。したがってキリスト教が間違っているのか、現代の性本能が間違った方向に向っているのかどちらかだということは明らかです。私自身はクリスチャンですから、間違った方向に向っているのは人間の性本能だと考えています。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、122f頁

2019年3月27日(水)

結婚は素晴らしいものです。また独身もそれに劣らず素晴らしいものです。いずれにせよ神さまに喜ばれるものは素晴らしいものです。
牧師がその身を亡ぼす道は、聖歌「キリストには代えられません」(新聖歌428)によると大きく三つあるようです。「世の宝、富」「有名な人になること、人のほめることば」「美しいもの」の三つです。いずれも激しい戦いを強いられます。
このうち「美しいもの」のなかに、性本能を間違った方向に向かわせるものがあるように思います。

「言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」(マタイ19・9)
「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。」(1コリント7・8,9)