クリスチャンが何らか特定の理由で、あるものを接した方がいいと判断する場合はあります。一生独身で通す人も、肉食をしない人もいます。ビールを飲まない人、映画をいっさい見ない人―いろいろでしょう。しかしそのこと自体がよくないことであるかのように決めつけたり、それをやめない人を見下したりするのは見当違いです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、104ff頁
2019年3月14日(木)
この地上に生きる限りどうしても他者との比較が生まれます。その比較の中で自分の位置を確かめつつ生きてしまいます。そのような束縛から自由にするために、神さまは人となって私たちのところに来てくださいました。神さまの無限の愛の中にある自分とあらためて出会い、確かな自由の中に生きたいと思います。
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。・・・」(ルカ18・10-14)
「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」(エフェソ5・18,19)
「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。」(第1テモテ5・23)