彼自身の目的のために

私以外の誰かが彼自身の目的のために私をつくったとするならば、私は、この精神と肉体が自分のものであったら負う必要のない、さまざまな責任を背負いこむことになるでしょう。
・・・
キリスト教は、個々の人間は永遠の生きると主張しています。・・・たった七十年生きるだけだったら頭を悩ます必要がないことでも、永遠に生きるとしたら真剣に考えた方がいいといった問題がたくさんあるのではないでしょうか。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、92f頁

2019年3月4日(月)

私の全存在は私の所有物ではなく、天と地を造り、私を愛するがゆえに御子イエス・キリストをこの地に送り、十字架と復活によって贖いの道を開いてくださった三位一体の神御自身のものです。ですからこのお方の前に最善を尽くしていきようと努力しています。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3・36)
「また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」(使徒24・15,16)