われらもなお救いを必要としています

自分の存在に根ざしつつ、皆が自由にみ名を賛美し、感謝し、ほめたたえるためには、われらもなお救いを必要としています。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、67頁

〔光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。〕(コロサイ1・12-14)

2018年3月18日(日)

聖書の語る救いとは、罪のゆるしのことです。この罪のゆるしとは、贖いのことであるといいます。贖いとは奴隷であったものを解放することですが、救われる前の人は何の奴隷だったのかというと、闇の力の奴隷であったということです。闇の力の奴隷から、神の御子イエスさまのご支配の中に移してくださったこと、それが救いです。

救われた者は「光の中にある聖なるものたちの相続分」にあずかれるようにしていただきました。この「相続分」とはいったいなんであるのか。永遠のいのちでもありますし、神の子とされる特権でもあると思います。しかし相続分という言葉で表されてた意味は、何の功績もなく一方的に与えられたもの、という意味ではないかとも思います。何やら自分が特別な存在になったかのような錯覚を抱かせる救いというのは偽りの救いです。私たちはどこまでも罪人でしかないのです。その罪人を救っていただいたということ。それはただひたすら神さまの一方的なご愛の御業です。

そのうえで、御子イエスさまのご支配の中に生きていることの「実」が人生に結ばれたとすれば、そこで私たちが語るべき言葉は「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」(ルカ17・10)以外にありません。

このような言葉を語りえるためには、私たちは救われるとともに、救いに、その喜びに生き続けなければなりません。私たちは「なお救いを必要としている」のです。