われら自身やわれらを取りまく世界のすべてのきずなからすっかり解放してくださることによって、われらの心を正しく自由にし、艱難、不安、欠乏、困窮、死の中を、自由な人間として導かれることができるようにしてください。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、66f頁
〔イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」〕(イザヤ8・31,32)
2018年3月17日(土)
自由とは何ものにもとらわれないで、いつも喜んで生きることだと思います。艱難、不安、欠乏、困窮、死は、私たちから自由を奪います。自由に生きるためにこれらが人生からなくなることを願います。しかし艱難、不安、欠乏、困窮、死のない人生はありません。聖書はこのようなものの中にあっても、これらに囚われない道を、これらから解放される道を私たちに語ります。
「われらを取りまく世界のすべてのきずな」から解放されること。「絆」という言葉自体の大切さがあるとは思いますが、「絆」には私たちを生かす絆、私たちの関係を生かす絆ばかりではありません。本当に私たちを生かす絆に生きるためには、「われらを取りまく世界のすべてのきずな」から自由になっていなければなりません。
またそれ以上に「われら自身」から自由になっていなければなりません。艱難の中で喜びを見失い不自由になってしまうのは、艱難に囚われる自分自身が問題なのです。艱難に捕らわれない、艱難によって右往左往しない、そういう自由な心が与えられると、いつも喜んで生きる人生が生まれるのではないでしょうか。