「夫れ道は常に開新す。故に道を伝ふる者常に開新す。蓋し道に由ればなり。故に道を載するの書亦然り。開新より開新せざるはなし。昨日の旧形は今日の時を以て去る。日々新書となる。旧書に存せる生命と其生命同じと雖も、然れども其開花は今日の程度に新なり。明旦到れば又更に新なり、今者乃ち亦旧となる。」
新井奥邃、『聖言』、218
「道はつねに新しく開く。よって道を伝える者もつねに新しく開く。まさしく道とうものの性質はそうである。よって道を書き記している書物もまたその通りである。過去の古い形は、現在の時においては過ぎ去る。日々新しい書となる。古い書に存在した生命も、その生命同じといえども、そうではあるが、その開花は現在であればあるほど新しい。明日の朝があけるとまたさらに新しい。今あるものはまた古いものとなる。」
日々新しいのです。「道」というものはその性質上留まっていることが出来ません。人生という道もその通りです。常に新しい、常に新しく開いていく、いのちそのものもそうです。
私たちは、この常に新しく開いていく道に生きなければなりません。人間はややもすると過去に生きます。あるいは未来に生きます。
過去のことを経験とすること、また反省することは大切なことです。しかし過去の栄光やまた逆に過去の失敗に留まり続けるならば、現在に生きることになりません。現在から取り残されてしまいます。
未来を想像し、希望を持つということは大切なことです。しかし夢物語にこころ定まらず、現実逃避をしているならば、現在に生きることになりません。現在が大切なものとなりません。現実を大切なものとして生きるためには「未だ来ない」未来に生きるのではなく、「将に来らん」とする将来を見つめながら今を生きることです。
人間は過去を、それが自分にとって良いものであっても悪いものであっても振り捨てること。そうしておのずと開いていく新しい道に生きること。未来ではなく、将来に希望を持って今を生きること。それが大切です。
〔聖書の個所〕
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
(第1コリント4章16~18節)
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
(第1コリント5章17節)
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