「信者をして愈々信ぜしめよ。不信者をして益々信ぜざらしめよ。熱か寒か判断相分るべし。信ぜざる者信を装ふて人を誘ふべからず。退かんと欲する者は当に勇退すべきなり。憚りて逡巡する勿れ。出入の法は厳然として犯すべからざるなり。若し入らんと欲せば時今に在り。明日あらず。人生各々千歳一時の期を有す。之を失はば再び来らず。今若し入らずんば、永遠或は及ばざらん。」
新井奥邃、『聖言』、196
「信仰者にはより一層信仰に生きるようにさせなさい。不信仰者にはますます信じないようにさせなさい。熱いか冷たいかの判断が、相互にわかるであろう。信じていない者が信仰者を装って人を誘ってはいけない。退こうと願う者は、その通りに自ら進んで退くべきであろう。周りに気兼ねして逡巡してはいけない。出入りの法則は厳然として犯してはならない。もし入ろうと願うならば時は今である。明日ではない。人生の一時一時は千年に一時の好機である。これを失うならば再び来ることはない。今もし入らなりならば、永遠に入ることはできないであろう。」
信仰に生きるか否か。その境界線は厳然としたものです。どちらか一方しか選ぶことができません。神さまは人間に選択の自由を与えられました。どのように選択するのか。この自由は時に恐ろしいものでもあります。もちろん神さまはすべての人が信仰に生きること、そうしてより良い人生を歩むことを願っておられます。しかしその選択を人間にお任せになられたのです。人間は自由を濫用して、不信仰に生きてしまうのです。それを罪と聖書はいいます。
今この時、この瞬間を逃すことなく、信仰の道を選択したいと思います。
〔聖書の個所〕
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
(第2コリント6章1~2節)
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