「我が主の道は世の意味に於て争はず。争はば必ず謙に於て善争す。故に凡(およ)そ主に従う者は、常に進んで十字架を負わざるはなし。其の此の世に在るや、或は顕に或は陰に、皆冷酷に耐へて、侮辱の侮辱を忍ぶ。啻(ただ)に言聴かれず道行はれざる底に止(とど)まらず。」

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「我が主の道は世の意味に於て争はず。争はば必ず謙に於て善争す。故に凡(およ)そ主に従う者は、常に進んで十字架を負わざるはなし。其の此の世に在るや、或は顕に或は陰に、皆冷酷に耐へて、侮辱の侮辱を忍ぶ。啻(ただ)に言聴かれず道行はれざる底に止(とど)まらず。」

新井奥邃、『聖言』、154

「私の主であるキリストの道は、この世の意味において争いはしない。争うならば必ず謙遜において良き争いをする。ゆえに主に従う者はすべて、常に進んで十字架を負う者である。それはこの世に存在するなら、見えるところ見えないところにおいて、みな冷酷に耐え、侮辱を忍ぶ。言葉が通らず、道理が行われないようなどん底に止まらない、とうことだけではない。」

 イエス・キリストの神さまを信じる者は、いわゆる争いをしません。戦争はしないのです。もし争うとすれば、それは自分自身が謙遜に生きることにおいて争います。そこでは善い戦いをするでしょう。
 陰日なたなく、十字架を負って生きることの戦いをします。この世の冷酷、この世からの侮辱を甘んじて受けます。またそれだけではなく、さらに深い苦しみのところにも忍耐をもって生きていこうとします。
 ただ我慢をするというのではなく、希望をもって忍耐をします。謙遜をもって、笑顔をもって耐え忍んでいくのです。つねにキリストがともにいてくださることを信じ、またキリストの愛があることを信じつつ。

〔聖書の個所〕

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
(第1コリント10章13節)

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
(第2コリント12章10節)

コメント

“「我が主の道は世の意味に於て争はず。争はば必ず謙に於て善争す。故に凡(およ)そ主に従う者は、常に進んで十字架を負わざるはなし。其の此の世に在るや、或は顕に或は陰に、皆冷酷に耐へて、侮辱の侮辱を忍ぶ。啻(ただ)に言聴かれず道行はれざる底に止(とど)まらず。」” への2件のフィードバック

  1. コールのアバター
    コール

    「啻に言聴かれず道行はれざる底に止まらず。」→ここでの問題となる語は「~の低」ですね。この「低」は「種類。程度」ほどの意味。

  2. job1925のアバター
    job1925

    ありがとうございます。「底」をどう理解するのか皆目見当がつかず適当にしてしまいました。
    「ただ言葉が聞こえず、道理が行われない程度のことに止まらない。」ということでしょうか。

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