「二三子主の名に於て集まる処、主其の中に在ます。真の集会豈徒に多数を要せんや。苟も斯の道を其の身に体すれば夫れ既に可なり。」

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「二三子主の名に於て集まる処、主其の中に在ます。真の集会豈徒に多数を要せんや。苟も斯の道を其の身に体すれば夫れ既に可なり。」

新井奥邃、『聖言』、78

「二人、三人の神の子(信仰者)が主イエスの名によって集まる所には、主イエスがその中におられる。真実の集会ならば、どうして意味もなく多くの人数を必要とするであろうか。まことにこの道(キリストの道)を自分のものとして歩もうとするならば、そのようなことはまぎれもなく可能である。」

 集会を主催する者としては人数が多いとうれしいものです。しかし良い集会かそうでないかは、人数によるのではなく、その集会の中身によります。キリストを信じる者であれば、たとえ少人数であってもそこにキリストがいてくださいます。ですからたとえ少人数でも、充実したよい集会が開催できるのです。
 これはキリストが、キリストを信じる者たちを励ますために語られた言葉であると同時に、どのような集いであってもそこに神がともにいてくださることを信じて大切にしなさい、と語られたことでもあると思います。
 たった一人の人であっても、全力投球で集いに臨むのです。

〔聖書の個所〕

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。
(マタイ18章20節)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
(第1コリント6章19~20節)

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