「夫れ時間は生命に属する者、若し己の私有と為す者、此れ反逆人なり。己れ既に神に属せば、何ぞ更に時間の己に私すべきもの有らんや。他人の時間も亦然り。其人の私有に非ず。故に之を妨害する如きは、其生命を傷賊するに均しと知るべきなり。」

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「夫れ時間は生命に属する者、若し己の私有と為す者、此れ反逆人なり。己れ既に神に属せば、何ぞ更に時間の己に私すべきもの有らんや。他人の時間も亦然り。其人の私有に非ず。故に之を妨害する如きは、其生命を傷賊するに均しと知るべきなり。」

新井奥邃、『聖言』、70

「時間は生命に属しているのだとする人、もしその時間を自分自身の私有であるとなす人であるならば、その人は反逆人である。自分自身はすでに神さまのものであるのだから、なぜさらに時間が自分自身のものとするのだろうか。他人の時間も同様である。その人の私有ではない。ゆえにこれを妨害するようなことは、その人のいのちを傷つけ損なうことに等しいことであると知るべきである。」

 時間をお造りになられたのは神さまです。神さまがお造りになられるまでは時間は存在しませんでした。自分の命を生きる私たちは、その時間の流れの中で生きています。決して時間と無関係に生きてはいません。ですから命が神さまのものであると同様に、あるいは必然的に時間は神さまの手の中にあるのです。神さまのものである時間を、まるで自分のもののように扱ってしまうならば、神さまを主として歩むことになりません。
 誰かの時間も同じです。誰かの時間を傷つけたり、奪ったりするならば、それはその人の命を傷つけたり奪ったりすることになります。例えば会議への遅刻は人の時間を奪っていることであり、人の命を傷つけていることになります。自戒と猛省が必要です。

〔聖書の個所〕

ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。こうして夕があり、朝があった。第四日。
(創世記1章14~19節)

コメント

“「夫れ時間は生命に属する者、若し己の私有と為す者、此れ反逆人なり。己れ既に神に属せば、何ぞ更に時間の己に私すべきもの有らんや。他人の時間も亦然り。其人の私有に非ず。故に之を妨害する如きは、其生命を傷賊するに均しと知るべきなり。」” への1件のフィードバック

  1. 北村遥明のアバター
    北村遥明

    本当に素晴らしい解説です。ありがとうございます^o^感謝いたします

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