「謙常に位を最下に定む。其の最下は汚下に非ざるなり。之れを霊界の大盤根と謂う。神人体の中枢なり。萬機此れに由らずして動く者無く、萬物此れに由らずして立つ者有らざるなり。」
新井奥邃、『聖言』、53
「謙遜に生きる者は、その立ち位置を、最も低いところに定める。その最も低いところというのは、けっして汚れて低いということではない。これは霊的な世界における大きな解決の難しい事柄であると言えよう。信仰に生きる者の中心であり根本である。多くの重要な事柄においてはこれによらないでは動く者はいない。すべてのものにおいてもこれによらないで立つものは存在しない。」
謙遜と自己卑下は別のものです。謙遜に生きるということと、汚れたところに生きるということとは違うものです。低いということばは、なかなか難しいものです。真の謙遜とは、そこに聖さが共存していることかもしれません。しかしこの難しさの中に、謙遜と自己卑下との違いを峻別しながら生きるところに、真実の謙遜が生まれ、それが人生を、また世界を動かしていくのです。
〔聖書の個所〕
最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
(第1ペテロ3章8~9節)
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