「道は履むべきなり。履むべからざる道は道に非ず。活神の生命は我れ必ず実践して然る後始めて之れを受くべし。実践せずして神の生命を受くる事は永遠能はざるなり。」
新井奥邃、『聖言』、15
「道は歩むべきものである。歩むことのできない道はすでに道ではない。生ける神の生命は、自分自身が必ず実践して、はじめてこれを受けることができる。実践をしないで神の生命を受けることは永遠に不可能である。」
使命ということばは、命を使うと書きます。人間、何かのために活動をして、いわゆる命を使うと疲れます。しかし神さまにある者は、永遠の命をいただきました。永遠の命とは、汲んでも尽きることのない泉のように、使ってもなくなることのない命の事です。むしろ使えば使うほど増える命です。
そのような神さまの命を受けるために大切なことは、実践です。ごちそうのおいしさは食べないとわかりません。自転車に乗る爽快さは自転車に乗らないとわかりません。神さまの命に生きることも、実際に生きはじめないとわからないのです。
神さまを理解しようとして、書物を読み、理解を深めようとすることも大切ですが、人格をお持ちの神さまであるならば、まず礼拝しなければわかりません。礼拝をして、神さまを愛し、また隣人への愛に遣わされていることによって、神さまを知り、神さまの命に生かされることを体得していくのです。
〔聖書の個所〕
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
(ヨハネ3章16~17節)
すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
(ヨハネ6章28~29節)
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
(ヨハネ21章15節)
コメントを残す