「事を執るにはよく共愛共有して大同和合せよ。責むる事あらば先ず自ら責むべし。」
新井奥邃、『聖言』、16
「仕事をすすめるためには、共に愛し共に親しみ、一つにまとまり仲良くしなさい。責めなければならないことがあるならば、まず自分自身を責めなさい。」
ともに働こうとするならば、お互いに愛し合い、親しみ合い、まとまり仲良くすることが一番です。もし責めるべきことがあったとしたら、まず自分自身が反省をすることが大切でしょう。たくさんの車輪のついた車も、すべての車輪がスムーズに回ることで大きな力を生み出し、前進します。一つでもブレーキになるならば、全体にブレーキがかかってしまいます。
ひとは、他人の失敗や欠点を責めることが上手で、また好きなのです。多くの場合自分自身の失敗や欠点を棚に上げて責めますが、それは自分自身に対する満足感やセルフエスティームのようなものの低さがそうさせている場合があるでしょう。そうであれば、誰かを責めている人が、責めずにはおれないのは、その人自身の問題なので、他人はどうしてあげることもできないですね。
共にプロジェクトを進めるのに、有力な人というのは、とにかく、たがいに愛し親しみ、まとまり仲良くしようと努力する人です。
〔聖書の個所〕
さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
(マタイ7章1~5節)
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