〔我らの御父 主の祈り〕
2015年2月24日(火)「天にまします我らの父よ」。私たちが神に向かい、神を私たちの父と呼ぶよう招いてくださるのは、イエス・キリストです。神の御子であるイエス・キリストは、自ら私たちの兄弟となって、私たちをイエスの兄弟にしてくださいます。
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「我ら」という語はさらに、イエスと共にいる人びと全てと共に祈る人の共同体であります。
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キリスト者が祈る時、彼らは、祈ることのできない人びと全てのいわば代理人です。
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神、我らの父、というその意味は、私たちの憐れみの父ということであります。・・・私たちは失われていた息子であり、常にそうあるでしょう・・・
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イエス・キリストは与える方であり、神の父たることを私たちの子たることとの「保証人」です。・・・人間的な関係は原形ではありません。・・・
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原形、真の父たることと真の子たることは、神がご自身と私たちの間に創造されたこの結びつきにおいて成り立ちます。私たちの間に存在するすべては、この根源的な子たることの模写に過ぎません。神を私たちの父と呼ぶならば、その時にはこれら二語、つまり父と子の完全な現実の中にいることになります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、122f。
すべての人は母から生まれてきました。この世に生を受けた瞬間、その場に、産婆さんや産科医がいなかったとしても、必ず母はいました。しかし父はいるとは限りません。父を持たずにこの世を生きなければならない人はたくさんおられます。たとえ父がいたとしても、父としての役割を、精神的な意味においても果たしてくれる確かな父ばかりではありません。私も4人の子どもの父ですが、確かな父親であるかどうかは、かなり疑わしいと言わざるをえません。
イエスさまは、神さまを父と呼ぶことを教えてくださいました。神さまがあわれみの父であることを教えてくださいました。また父という存在は、憐れみをもたらすものである、ということを教えてくださいました。
私たちは「天のお父さま」と神さまに呼びかける時、「父と子の完全な現実の中」におらせていただくのです。
たとえ肉親の父が不在でも、不完全でも、私たちは確かな父を持つ者となります。もうひとりぼっちではありません。
(祈り)
神さま、あなたを「父なる神さま」と呼びかけることが許されていることを感謝します。
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