〔イエスと群衆〕
2015年2月3日(火)イエスが群衆をご覧になりながら、見ておられるもの、それは豊かな実りに溢れた畑、刈り取る準備のできた大きな畑、人びとすべての群衆のように大きい―従って追っ払われた、強情な、脅かされた、失われた羊ではないのです。イエスは群衆をやはりなお失われた羊だとご覧になり、そうもおっしゃいましたが、むしろ彼ら一人ひとりを重い垂れ穂をもつ黄金なす茎として、そしてそべてこれら多くの名もない頭脳たち同士を、愚鈍なさ迷う群衆ではなく、そうではなくて大地から美しく成長し、冬には欠けていても、春が約束していたもののかけがえのない、夏の日の充実であるとご覧になりました。
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成熟した実は明らかに刈り取られ、大きな収穫は明らかに納屋に収められなければなりません。だがこの意味は、人びとがそれをやはり聞いて知る必要があり、したがってイエスが良き羊飼いであるから彼らはうまくいっているのだということを、彼らに言ってやらなくてはなりません。
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相変わらず、彼らは罪の中で、神に背いたままで、その悲惨の中であたかも羊飼いのいない羊のように、病み衰えていくことはありません! そんなことはもう終わったのです。
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この良き福音は何といっても彼らに伝えられなければなりません。まだイエスを信じない人びとがいるということは、どうしてありうるでしょう。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、84ff。
イエスさまは群衆を見て、収穫は多い、と言われました。群衆を豊かな収穫であると見られたのです。いまもイエスさまは群衆をご覧になって、そこに豊かな収穫をご覧になっておられます。
私たちは、罪と滅びの中にしか生きることができなかった「群衆」でした。そしてこの世界のすべての人びとはこの「群衆」です。私たち人間はそこに滅びしか見出さないのかもしれません。しかしイエスさまはそこに豊かな実りをご覧になっておられるのです。
十字架とよみがえりの御業をもって贖いを完成してくださったイエスさまは、聖霊さまをこの地に遣わしてくださり、まさにこの地が豊かな収穫の地であり、「群衆」は豊かな収穫そのものであることを、教えてくださいました。私たちはその現実を語らなければなりません。戦いは終わったのです。今もし戦いがあるとすれば、それは勝利の戦いです。
(祈り)
神さま、あなたのご愛を感謝します。神さまのご支配の現実を宣べ伝えることができるように助けてください。
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