無に関して描かれていない

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〔開始の時〕

2015年1月7日(水)

私たちがかつてはまだいなかったというこの決定はすでに下されており、一方私たちがいつかもはやいないだろうという第二の決定は、私たちを待ちうけているのは確実であって、いずれ下されねばならないからです。今のところ私たちは現在というものをほんの少しばかりの未来なるものと合わせて持っています。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、34f。

自分がこの世に生まれてくる前の時は確かにありましたが、その時のことを知りません。
またやがていつかはこの世を去るのですが、この世を去ってしまったならば、そのあとの時のことを知ることはありません。
今こうして生きているということは、過去を見ても未来を見ても、そこにはありありと「限界」があります。
人間はこの限界の間に生かされています。この限界に生かされているということが人間としての健やかさをもたらすのだと思います。

ときどきこの限界を越えようとする宗教があります。あるいはこの限界をあたかも超えているようなことを語る宗教家がいます。また人間はこの限界を越えることに一種のあこがれを持っているように思います。
しかしそうした途端、人間としての健やかさが失われてしまいます。人間としての謙遜が失われてしまいます。高慢な自己満足が生まれてしまいます。

私たちは限りある存在であることをあらためて知りましょう。
そうすることによってこそ今日の日を大切に生きることができるのです。

(祈り)
神さま、自らは限りある者です。そのような限りある者に御目を留めてくださり、きょうの日を与え、生かしてくださることを感謝します。

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