〔始まり―無からの創造〕
2015年1月3日(土)
神は選ぶ、まさにそれゆえに神は選ばないものを退けられる。
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単純に無ではなく、他ならぬ無なるものこそ、かかるものとしてはそれ独自のたとえ悪い間違った存在がないわけではないとしても、神が自らの決定によって突き放し、後ろになさるのです。
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神的非意志の現実の対応が、無なるものであります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、25f。
神さまは「無」を退けられました。
「無」は、神さまが退けられたものです。
「無」がそれ自体、悪い者であり神さまに敵対するものであるのですが、だからといって人間的な判断で退けられるものではなく、神さまが退けられたということで「無」なのです。
善と悪の基準を私たちは私たちの中に持っていると思っています。しかしそれは時代と共に変化してしまうものです。私が正しいと思っていることも、もしかしたら正しくないことかもしれません。逆に私が正しくないと思っていることの中にも、案外正しいことが含まれていたりもします。
私たちは罪人なのに、その罪人である私の中に善悪の基準を置いてしまったら、人生を誤ってしまうでしょう。
もちろん自分の人生の責任は自分が持たなければならないところがありますから、結局のところ自分がさまざまな判断をするのですが、そこで神さまのお言葉を基準に置くということがいかに大切なことであるか、と思います。
要は神さまがどのようにお考えになっているかを、私たちは学ばなければなりません。そうでなければ人生が地図を持たずに旅をするようなものとなってしまいます。
しかし聖書をいただいているということは、確かな神さまの基準をいただいているということです。本当に感謝なことです。
(祈り)
神さま、きょうも聖書の言葉に完全に現されているあなたのお心を求めて歩むことができますように。
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