〔服従と十字架〕
2014年2月25日(火)
「それから、イエスは、人の子は必ず大きな苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられて殺され、三日の後によみがえることになっていると、弟子たちに教えはじめられた。しかも、このことをはっきりと話された。するとペテロはイエスをわきへ引き寄せ、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マルコ8:31~33)
苦しみを受けるという場合に、それを悲劇的な出来事とみなし、かえってその苦しみの中に独自の価値と、名誉と、尊厳を見いだすことのできる場合があるのである。イエスはしかし、苦しみの中で「捨てられた」キリストである。捨てられるということは、苦しみが最後のところでなおも待っている尊厳や名誉が奪われるということである。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、98頁f。
イエスさまは私たちを救ってくださるまことのキリスト、救い主です。イエスさまが受けられた十字架の苦しみは、捨てられてくださった苦しみです。捨てられる苦しみを経験してくださったイエスさまですから、さまざまなことで苦しむ私たちをその下からさらに支えてくださることができます。どんなにどん底のところに落ち込んだと思ってもそこにイエスさまは共にいてくださいます。
(祈り)
神さま、どのような苦しみのところにも共にいてくださることを感謝します。
コメントを残す