2014年1月31日(金)
絶えず私の悪口を言い、私を侮辱し、私に対して公然と不正を行ない、折りさえあれば私を苦しめ悩ます隣人が―あるいは他人が―ここにいる。その人を見るだけで、頭に血がのぼり、恐ろしく激しい怒りがこみあげてくる。「敵」というものは、われわれにそうしたことを引き起こさせるものである。・・・その時にこそすぐに、<私は人間によってではなく、神自身によって憐れみを受けたのだ。そしてイエス・キリストは憐れみを与えてくれるこの神のために死をも引き受けたのだ>ということを思い起こすべきである。・・・他人を打つために手をあげてはいけない。怒ったまま口を開くのではなく、むしろ静かに黙っているべきである。・・・彼は、あなたに害を及ぼすのではなく、自分自身に害を及ぼすことになるのだ。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、54頁f。
「敵」という言葉にあてはまる人はそんなにいないように思いますが、私の悪口を言い、私を侮辱し、私に対して公然と(あるいは隠れて)不正を行ない、折りさえあれば私を苦しめ悩ます人は、幾人も思い浮かぶのではないでしょうか。
イエスさまはそのような隣人に、悪をもって悪に報いてはならないと語られます。
「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」
(ローマ12章17節)
神さまは私のために十字架にかかってくださっただけでなく、その隣人のためにもかかってくださったのです。
(祈り)
神さま、どうか今日、悪をもって悪に報いることがないように守ってください。怒ったまま口を開くのではなく、むしろ静かに黙っていることができるようにしてください。
コメントを残す