2014年1月21日(火)
「心の清い人たちは、さいわいである。彼らは神を見るであろう。」(マタイ5:8)心の清い人とはどのような人であろうか。自分の心をすべてイエスにささげ、イエスこそが自分の支配者であるような人、その心を決して自分自身の悪によってあるいは自分自身の善によっても汚さないような人だけである。
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神を見る者とは、この世の生活の中で神の子イエス・キリストのみを仰ぎ見る者である。そういう人の心こそが、汚れに満ちた像から自由なのであり、自分のさまざまな願望や意図にあちこちひきずりまわされることはないのである。
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神を見るのは、その心がイエス・キリストという像の反映となっているような人だけであろう。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、38頁f。
神さまは目に見えないお方です。その神さまが目に見える形でこの世界にやって来て下さったお方がイエスさまです。神さまを見たければ、イエスさまを見ればいいのです。福音書に記されているイエスさまのお姿を見ればいいのです。福音書を読むといつでもイエスさまにお出会いすることができます。
聖書を読んでイエスさまにお出会いするためには、心が清くされなければなりません。清い心とは汚れなくまっすぐにイエスさまを見る心です。汚れがあるとイエスさまを見ることができません。汚れとは「自分自身の悪」であり「自分自身の善」である、といいます。
ただひたすらイエスさまだけを見上げて歩む者でありたいと思います。
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