2014年1月6日(月)
この顕現祭が、クリスマスが祝われるようになるずっと以前から東方や西方の教会の中で、冬季の最も大切な祭日として守られていたことは確実である。その起源ははっきりしない。確かなことは、昔から四つの異なった出来事がこの日に考えられたということである。それはキリストの誕生、キリストの洗礼、カナの婚礼、そして東方からの博士たちの到来である。
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教会は第四世紀以来、キリストの誕生を二十五日に祝うことにして、それを顕現祭から分離した。
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洗礼は罪人たちのためのイエスの自己卑下である。
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取税人や罪人の仲間、これが神の子なのであって、その顕現をわれわれは心から祝わなければならない。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、13頁。
顕現祭。公現日とも呼ばれるのでしょうか。どちらかというと教会歴をあまり重要視しない宣教団体によって生み出された私たちは、この顕現祭、公現日の意味を知らずにいます。しかしキリスト者として生きているのですから、教会歴を大切に考える兄弟姉妹たちの心も学びたいと思います。
ボンヘッファーは、この公現日には四つのことが一緒にお祝いされていたといいます。それは単に時間的に一緒にお祝いされていたというのではなく、それぞれの意味を一つにするような考え方があったといいます。特に、誕生と受洗の意味を一緒にしてしまっていたとするならば、そこには大きな誤謬がある、キリスト論的誤謬があるといいます。ですから比較的早い時期に、キリストの誕生であるクリスマスだけを12月25日にしたことは大切なことであったということです。ただ東方の教会では今もクリスマスは1月6日にお祝いされているのではないかともいます。この辺はもう少し丁寧な考察が必要になるかもしれません。
イエスさまの誕生とイエスさまの受洗を分離することによって、明らかにされたことは、イエスさまの受洗の意味であるということです。ごっちゃになっていたときは、神さまの子となられたのが、まるで受洗の時であるかのようにとらえられてしまった、ということでしょう。分離することによって、イエスさまは神さまご自身であったのですが、人となってこの地に来てくださった誕生と、神であるお方が私たち罪人と同じように洗礼を受けてくださったということが、それぞれ鮮明になりました。
いずれにせよ、イエスさまはまことの神さまであるにもかかわらず、私たちと同じ罪人となってくださったのです。何一つ罪を犯されないお方であるにもかかわらず罪人となってくださったのです。
神であり人であるお方。このイエスさまだから私たち罪人を救うことができるのです。
きょうもこのイエスさまが共にいてくださることを心から感謝したいと思います。
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