彼らの間に一般的に受け取られているように、彼らにとっては、杯の外側のみをきれいにするだけでよかったということを証言しましょう。
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しかし、それは、正義、慈悲、信仰、神の愛が全く欠けている状態を意味していたのでした。
コリントの信徒への手紙2、3章15節
2013年8月28日(水)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
257頁
この場合、外側とは信仰の行いのことのようです。様々な信仰の行い、献金、礼拝出席、などなど。そのようなことさえ行っていれば内側のことは二の次であるということ。そのような信仰生活のことが問題視されています。
それに対して真のキリスト者は、内側もきれいにしなければなりません。あるいは内側こそきれいにしなければなりません。
外側はどうでもよいということを言っているのではありません。外側のことは、きよめられた内側からおのずとにじみ出てくるということです。
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