イエスがその死に先立って弟子たちとともに食された最後の食事は、共観福音書でこそ過越祭の食事となっている(マルコ14:12-25および並行記事)が、ヨハネ福音書の記述に従えば一日早く行われたことになっている(ヨハネ18:28、19:14,36)
E.ローゼ、『新約聖書の周辺世界』、日本基督教団出版局、1976年10月25日、134頁
マルコの福音書14章12節以下によると
「種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。・・・彼らはそこで過越の食事の用意をした。・・・夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。・・・」
と書かれていて、最後の晩餐が過越祭の食事となっています。
これに対してヨハネの福音書18章28節によると
「過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。」
と書かれています。これは最後の晩餐の後、逮捕されたイエスさまの裁判の席で、イエスさまを訴えたユダヤ人たちが語っている言葉です。つまり過越祭の食事の日の前に最後の晩餐がありイエスさまの裁判があったと記しています。
同じく19章14節には
「その日は過越の備えの日で・・・」
と書かれていて、過越の食事の一日前となっています。
以上から、共観福音書では最後の晩餐は過越祭の食事であったと記され、ヨハネの福音書では、最後の晩餐は過越祭の食事の前の日であったと記されていることになります。
こういうところから「史実」はどっちなんだろうかという疑問が生まれます。
私はいわゆる史実は共観福音書のほうではないかと思います。ヨハネの福音書はこの史実を結果として曲げているのですが、イエスさまが十字架につかれた日を、過越祭の食事の日と重ねることによって、イエスさまこそ「まことの小羊」として私たちの罪のために捧げてくださったという真実を明らかにしています。
聖書は神の言葉ですが、それはビデオカメラのように出来事を追ってそれをそのまま記してるということではありません。聖書が書かれたとき、すでに教会が存在し、礼拝者の群れが存在していて、その中で書かれたのが聖書であり、聖書は既に存在していた教会の信仰を表しているものです。そういう意味で聖書は神の言葉なのです。いわゆる「おふでさき」とは全く異質なものですね。
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