しかし、神の子は私たちの中にある悪魔の業を私たちの命のある限りは破壊されません。
コリントの信徒への手紙第二、4章7節
2013年7月26日(金)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
223頁
イエスさまをこころの王座にお迎えして以来、イエスさまは私の中の悪魔の業である様々な弱さ、欠点をきよめてくださいますが、完全にはなくされません。完全になくされるのは天国に行ってからです。地上で歩む限りいかに敬虔なキリスト者であったとしても人間的な弱さに生きなければならないのです。完全になくしていただける時、完全な勝利の時を目指して今日も一歩前進しますが、一歩前進する今日という日も、この弱さや欠点を担って歩む一日なのです。
優しいという漢字は人偏に憂いと書くと誰かがいわれました。人が様々な憂いを背負いながら生きる所に優しさがある。あるいは様々な憂いを背負いながら生きている人こそ優しい人であるというのでしょう。
おおよそ欠点などない人は、どこか近寄りがたいものです。
もちろん欠点があるにもかかわらずその欠点を背負うどころか棚上げしている人は最悪です。こちらも近寄りがたいといいますか、近寄りたくないですね。
コメントを残す