別の気質

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キリストにある信仰者は、隣人への愛、神への愛に反する別の気質を内側に感じることがあります。例えば、ねたみや邪悪な憶測、根拠もなく非合理な疑いなどです。これらの点において潔白な人は隣人への最初の石を投げさせなさい。

ヘブライ人への手紙12章15節
2013年7月3日(水)

『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
200頁

ねたみとは。隣人の幸福な姿を喜んであげることができない心でしょうか。使徒の働き5章17節の「ねたみ」は「熱心」という言葉を語源とする単語が使われています。熱心な心がねたみを生み出すということでしょうか。確かに自己中心的な熱心さは人の幸を喜ぶことをしにくくさせます。信仰を持ってなお戦いがあるとすればこの自分の心の中に救う妬みとの戦いといえるでしょう。牧師になってからより一層この嵐に巻き込まれます。

邪悪な憶測とは。憶測、想像することは時に大切なことです。相手を思いやる心、察する心です。しかし善に察することもできれば、邪悪な憶測をすることもできます。どちらの道に歩むかには選択の自由があるはずです。しかし往々にして邪悪な憶測の道に歩んでしまいます。

非合理な疑いとは。疑い自体問題を含んでいる感情だと思います。しかし現代社会は疑うことを教えます。簡単に信用してはいけないと教えます。あるいはこの信じる心を利用した悪がはびこっています。ですから合理的な疑いが必要となるときがあります。しかし非合理な疑いに縛られることもしばしばです。

「これらの点において潔白な人は隣人への最初の石を投げさせなさい」。この文章の最後のところは「投げなさい」のほうがしっくりくるのですがいかがでしょうか。

「投げなさい」と読み替えて考えたいと思いますが、まさに隣人の問題に石を投げることのできる者はいないのです。主の前にへりくだらなければなりません。高慢、傲慢は、交わりを破壊し、自らをも滅ぼします。

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