結局行動的人間というものは皆、このタルソのサウロと同様に、労働の汗を流すだけでなく、暴力行為の血で、くり返し手を染めることになる。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、294頁
使徒の働き9章6節
2012年09月07日(金)
リュティは、電気のないスイスの山小屋でこの文章を書いています。電気がないと現代社会がいかに電気に頼って成り立っているかを思い知ることができるとのことで、それはまた電気によって人間の行動時間がずいぶん長くなっていることを感じるということでした。行動時間が長くなった現代に生きる人間は「行動的人間」であるといいます。行動的人間は、労働に汗を流すという積極面を持っているのですが、同時に暴力行為の血で手を染めることにもなると警告しています。
私たちの周りにも行動的人間がいます。私たちも時に行動的人間となっています。行動こそ善であると思いこんでいます。しかし自分の思いだけでの行動は、時に人を傷つけるのです。
そして、何をなすべきなのかという彼の問いに対して、神は最初、何もするようには言われずに、むしろ行って待つように ー ただ待つようにとだけ言われる。そこで、タルソ人サウロは静かに待って三日を過ごす。祈りの中に過ごす。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、294頁
使徒の働き9章6節
2012年09月07日(金)
神さまは行動的人間であったパウロにお出会いされました。神さまはパウロに、行ってただ待つように言われました。静かに待つという時間は祈りの時間です。
神さまに出会ってパウロの生き方は180度変わります。それは行動的人間から祈りの人間に変わったということです。
祈りの中に静かに時を過ごすこと。この時間を持つことができるかどうかが、隣人を真に生かす労働に汗を流せるかどうかの秘訣です。あらゆることに先んじて静かな祈りの時を持つこと。それが真の愛に生きる道です。
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