空(から)である時

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彼らは、上から豊かなものが自分の中に注ぎこまれるまでは空であるよりほかはない。そこに据えられた甕(かめ)のようなものである。しかし彼らは空であればこそ「聖霊に満たされる。」
空であるということが、ペンテコステに対する彼らの貢献である。・・・
・・・だから私たちは、自分が不幸に思われるとき、嘆くのはやめよう。空である時が、聖霊の時なのである。「すると一同は聖霊に満たされ・・・」といわれるような瞬間には、いつもそのような空である時が先立っている。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、195ページ
(行伝2章4節)
2012年06月04日(月)

空(から)。

空であることの大切さ。空である時の大切さ。空であるところの大切さ。

おおよそからでなければ、神さまの恵みの注がれる余地がありません。多くの恵みを望むならば、全き空(から)を目当てとしなければなりません。

神さま以外のことごとでなんと多くの部分が占領されていることでしょう。

足りさなを、貧しさを、喜びとしたいと思います。

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