片言の魅力

執筆者:

カテゴリ:

ゴルジ神父は、トクベック神父の顔を見て微笑して云った。

「心配は要らない。それでいいんだよ。トクベック君。日本人は、日本語を話す日本人神父よりも、片コトを話すわれわれ外人神父の説教を有難がって聴くのだ。なに、話がよく判らなくともいい。聴衆の方で察してくれる。つまり聴き手の方が余分を考えてくれるのだ。その方がずっと有難味があるらしいね。日本人の信者には・・・・・・」

松本清張、『黒い福音』、新潮社、1970年12月25日発行、98ページ

大変恐ろしい、またいやな小説でした。それと同時に引き込まれて一気に読むことになった小説でした。

少々片言の方が有難味があるといいます。昨今キリスト教の結婚式が大流行ですが、そこでも日本人よりも片言を話す外国人の司式者の方が人気があるそうです。意味内容よりもその雰囲気に何かしら有難味を感じていると言うことでしょうか。

そういう日本人の特性が様々な形で利用されています。ちょっと英語チックな早口の流行歌、Tシャツなどに書かれた意味不明の外国語、花を包む英字新聞などなど。重要なのは意味内容よりもその雰囲気なのです。たわいないことですが、この小説のようにそれが悪用されてしまう場面を想像すると、日本人は考えなければなりません。

宣教師の先生方を共に奉仕しています。先生たちにとっても片言の日本語はもどかしいことだと思います。子ども扱いされてしまうように思ってしまうときもあるでしょう。片言がかえって純真に受け取られることもあるでしょう。いずれにせよ、そういうことにかかわらずひとりの人間としてしっかりとお付き合いをする、互いに理解することが大切です。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA