礼拝説教から 2018年11月25日

  • 聖書箇所:マルコの福音書16章9-20節
  • 説教題:福音の宣べ伝えなさい
 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。(マルコの福音書16章15節)
 イエス様は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と言われました。イエス様は、「すべての人に」と言われたのではありませんでした。「すべての造られた者に」と言われたのでした。
 どういうことでしょうか。弟子たちが、そして現在の私たちが福音を宣べ伝える相手、それは神様が造られた人々だということではないでしょうか。私たちが福音を宣べ伝える相手は、神様が造られた人々だということです。神様が愛して造られた人々だということです。神様が大切に造られた人々だということです。
 それは、どこか遠くにいる、名前も知らないような人々であるかも知れません。あるいは、家族や友人のような、身近な人々であるかも知れません。気の合う人々であるかも知れません。あるいは、気の合わない人々であるかも知れません。いずれにしろ、それは神様によって造られた人々であり、神様が愛しておられる人々であり、大切に考えておられる人々だということです。
 そして、福音を宣べ伝えるというのは、福音を受け取る相手が、神様によって造られた方であることを覚えることでもあるということです。福音を受け取る相手が、神様から愛されている方である、神様から大切に考えられている方であることを覚えることでもあるということです。そして、それはそのまま、「隣人を愛する」ということにつながっていると言ってもいいのではないかと思います。つまり、「福音を宣べ伝える」というのは、「福音を受け取る相手を、隣人として愛する」ことに他ならないということです。
 私たちはどうでしょうか。福音を宣べ伝えることに熱心ではあっても、あるいは、熱心であるがゆえに、福音を受け取る相手が、神様によって造られた方であり、神様から愛されている方であり、神様から大切にされている方であることを、見失ってしまっているようなことはないでしょうか。神様の愛を熱心に語る一方で、神様から愛されている方として大切に接することができなくなってしまっているということはないでしょうか。
 私たちが福音を宣べ伝えるのは、神様によって造られた方々に対してだということを、いつも覚えたいと思います。神様から愛されている方々であり、神様から大切にされている方々であるということを、いつも覚えたいと思います。だからこそ、福音を宣べ伝えるのであり、愛するのだということを覚えたいと思います。
 先に福音を受け取った者として、神様に造られた自分を覚えながら、神様から愛され、大切にされている自分を覚えながら、福音を宣べ伝える者となることができればと思います。福音の表面的なことばだけを伝えて、愛することはしないというのではなくて、神様が自分を愛してくださったように、愛することができればと思います。神様から愛されているように、愛することができればと思います。

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