礼拝説教から 2018年1月1日 

2018年1月1日
ピリピ人への手紙1章27節
キリストの福音にふさわしく生活する
 ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、(ピリピ人への手紙1章27節)
 パウロは「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい」と言っています。「もうひたすらこれに尽きる」という大事なことを、語っているという感じがします。
 「生活する」ということばは、ピリピの町がローマ帝国の植民都市であったことを背景にしているようです。ピリピの町に住む人々が求められていたのは、ローマ帝国の市民としてふさわしく生活することでした。そして、そのような生活を通して、ローマ帝国の素晴らしさを外の人々に示すことでした。
 パウロはこのような背景を持つ町の教会に対して、「キリストの福音にふさわしく生活する」ことを強調しているのです。それは他でもなく、イエス様が王として支配される神の国の民として生活することでした。そうして、イエス様が王として支配される神の国の素晴らしさを示していくことでした。
 それでは、この「キリストの福音にふさわしく生活する」というのは、どういうものなのでしょうか。パウロは、ピリピの教会の人々が「キリストの福音にふさわしく生活する」ことによって、一つの評判を聞くことができると言っています。それは、ピリピの教会が「霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない」ということでした。
 パウロは、「キリストの福音にふさわしく生活する」結果として、教会に「霊を一つにする」、「心を一つにする」ということが起こってくると言っています。「キリストの福音にふさわしく生活する」というのは、教会に霊の一致、心の一致をもたらすようなものだと言えるでしょう。
 いろいろな所で、心を一つにすることが求められています。しかし、この心を一つにするというのは、とてつもなく難しいことであるように思います。心を一つにすることの大切さは誰もが分かっている、分かっているけれどもできない、それほどに難しいものなのだと思います。
 しかし、パウロが言っていることは何でしょうか。それは、キリストの福音にふさわしく生活する時、教会には心に一致がもたらされるということです。教会は、キリストの福音にふさわしく生活することで、心を一つにすることになるということです。これは、驚くべきことではないでしょうか。誰もが分かっていながら、手に入れることのできない心の一致を、キリストの福音は教会にもたらすのです。
 パウロは、ピリピ人への手紙の2章に入って、改めて一致を強調しています。そして、一致を可能にする根拠として、十字架にかかってくださったイエス様を示しています。神でありながら、そこにこだわることなく、むしろ謙遜に私たちに仕えてくださり、十字架にかかってくださったイエス様を示しています。
 キリストの福音にふさわしく生活する、それは、クリスチャンとして品行方正に生きる、何か立派なことをするということではありません。むしろ、イエス様の十字架の前で、自分が罪人であることを受け入れ続けていくということです。その罪人の自分を赦してくださったイエス様の愛を知り、新しく与えられた人生を感謝と喜びをもって謙遜に生き続けるということです。そして、そのような歩みが様々な違いを乗り越えて、互いに受け入れ合い、互いに仕え合い、互いに支え合っていくことにもつながっていくのだと思います。
 いつもキリストの福音にふさわしく生活することができることを心から願います。そうしてキリストの福音がもたらす心の一致をともに見ることができることを心から願います。

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