めぐみのパンくず

“だから、彼らのまねをしてはいけません。だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。』”マタイ6章8〜9節

◎イエス様は、弟子達に「だからこう祈りなさい」と、私達が毎週捧げている「主の祈り」と教えられました。当時、弟子達が知っていた祈りは、律法学者、パリサイ人、祭司達の人の目を気にした、偽善の祈りだったからです。今日はこの祈りの最初の一文「天にまします我らの父よ」から教えられましよう。3つの語から学びます。

① 「天」とは、地上ではなく、やがて私達が迎えられる永遠の家で、神様がおられ、支配しておられる所です。(第2コリント5章1節)

② 「我ら」というのは、複数形であって、神様は私だけの神様でなく、皆んなの神様であられること、だから祈りには、教会、隣人、家族、友人、そして自分の敵さえ含まれることを教えられています。祈りは自己中心であってはならないのです。

③ 「父」神様のことを「父」と呼べるのは、イエス様だけです。私達は神様の創造によって造られましたが、神様の子供となるのは、新しく生まれなければなりません(ヨハネ3章3節)。ですから、この「主の祈り」は神様の子供とされた者だけが捧げることの出来る祈りです。神様と親しく尊敬をもって「お父さん」と呼べることは、驚くべき恵みです。子供の祈りを神様は耳を傾けて聞いて下さいます。                            ロン・ケイスリー師

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