日別アーカイブ: 2017年4月9日

めぐみのパンくず

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。”

            Ⅰテサロニケ 5:6

◎イエスさまは再び来られる。そのことに緊迫感をもって待ち望んだテサロニケの教会員でした。そこで使徒パウロはいかに待ち望むかを様々な励ましで述べていますが、今日のところでパウロは「昼の者なので」と言い、その積極的面と消極面とを語ります。

◎まず消極面から見てみましょう。「慎み深く」あれと、5節でも「目をさまして、慎み深く」と言っています。慎み深くとは、興味深いことに、「酔っていない、しらふでない、酒を飲まない」という意味の言葉が使われているのです。テサロニケの教会員が皆、酒好きだったのでしょうか。そうではなく、酔うと意識や感覚が乱れます。信仰が乱されないよう、謹んでいようと。それはまじめな信仰生活、謹厳、冷静な信仰生活です。

◎積極面を見てみましょう。胸当てとかぶとが出てきます。胸当て、エペソの手紙では「正義の胸当て」とあります。ここでは信仰と愛の胸当てです。神さまに愛されていることを、露ほども疑うことのない信仰者であれと言うのです。愛されているのだから積極的に信仰に前進して行こうと言わんばかりです

◎救いの望みのかぶと。サタンは救いの確信を射ようと思いを乱そうとします。飛んでくる矢のように突き刺さると疑いが起こります。しかし、イエスさまはキリスト者を確かに贖って下さったのです。「サタンよさがれ」と命令できる頭をもつ守りのかぶとなのです。