日別アーカイブ: 2017年1月15日

めぐみのパンくず

私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に・・・・信仰の働き、愛の労苦・・望みの忍耐” Ⅰテサロニケ1:2、3

◎使徒パウロのテサロニケ教会における三つの思いを見てみます。初めに、「感謝している」ことでした。パウロはテサロニケの教会を思うと神への感謝の気持ちがあふれ出たのです。二週間の間に出来上がった教会、神への感謝は集う教会員すべての兄弟姉妹の存在にありました。

◎その故に「絶えず」覚えてパウロは祈ることができたのです。祈られているキリスト者は幸いです。ある文章に「幸いな牧師とは誰か、信徒に祈られている牧師である。幸いな信徒とは誰か、牧師に祈られている信徒である。」と書かれていましたがしかりです。キリスト者が顔を会わせて集う時間は短いですが、祈られている時間がそれ以上であるならば何と幸いでしょう。あなたを導いた人(天に召された人もあるでしょうが)は祈りのときに覚えていることと思います。

◎第三にテサロニケ教会員の三つの事をパウロは神の御前に思い起こしています。信仰の働き、愛の労苦、キリストへの望みの忍耐です。キリスト者の働きはどんな小さいと思えるご奉仕も信仰のうちにあるのです。愛には労苦がともないます。原語のことばには「骨折り」との意味があります。しかし、この労苦は決して忘れられることがありません。望みには忍耐が必要です。決して失望に終わらない希望は、時いたりて実現します。待っていて良かったと思えることを知っている者は幸いです。