めぐみのパンくず

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」 イザヤ 1:18

◎イザヤ書一章は、ユダとイスラエルに対する罪の糾弾から始まります。それは創造神への謀反と宗教上の偽善でした。南ユダも、北イスラエルも今までどれほどの神さまからの恩寵を受けたかわからない民たちでしたが、行動において、それ以上に内面的に神さまから遠い者となっていたのです。

◎イザヤは糾弾します。「天よ聞け、地も耳を傾けよ」と。罪は「天知る、地知る」「天網恢恢(かいかい疎(そにして漏(も)らさず)と言う言葉がまさに当てはまります。罪の隠れ家はどこにもないのです。

◎ユダとイスラエルの罪の根本は「忘恩」にあります。牛舎で飼われる牛、飼い葉おけに餌を入れてもらうロバ、彼らでさえその飼い主をよく知っていると言うのに、民たちは養われた神を忘れて生きていると言うのです。困ったことに、彼らは形だけは宗教の民としての体裁をあらわしていました。

◎そんな民に向かって神さまは「さあ、来たれ、論じよう」と言われます。「すべて疲れた人、重荷を負っている者はわたしのところに来なさい」マタイ11:28とイエスさまは招いて下さいました。最も重い荷は「罪の重荷」です。それを隠し立てしないで神さまの前に来ることの出来る人は幸いです。

◎また「論じよう」と言われます。人間は自分んで自分の心に論じて決めることが多いのです。神さまの論じられることが一番正しいのです。このことを素直に受け入れ、神さまの光のもとに自分を現す者は上のみことばの約束を受けるのです。

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