日別アーカイブ: 2015年5月10日

めぐみのパンくず

それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、やさしくふるまいました。”   Ⅰテサロニケ人への手紙2:7

◎五月に子どもの日と母の日が続いてあることは嬉しいことです。母と子のうるわしい関係について聖書から学びます。使徒パウロはテサロニケの信徒に対して母のごとくふるまったと言います。みことばが語る母の姿をもって。

◎ここで記されている「母」は「乳母」とも訳せる言葉で、乳を与えるお母さんの姿をまず思わされます。「育てた」とは愛情一杯に、はぐくみ、温めることです。「優しさ」をともなって。「優しいと言う字は人偏に憂いと書く」と言ったのは太宰治ですが、母はその子が成長して行く中で、様々な戦いを覚えるであろうことを思いつつ、優しさという愛をいっぱいこめて育てるのです。そして8節を見ますと「いのちまでも、与えたいと思ったのです」と続きます、まさに一心同体の母子の愛情です。

◎もう一つのことは、6節に人からの「栄誉を求めなかった」とありますが、母の愛は無償の愛ですね。

◎しかし、そこで終わってしまったら聖書が言うところの真の母の姿ではありません。母の優しさもいのちを与えるほどの大きな愛も「福音」vs8に生きることを願ってこそ、なのです。「子供は成長は母から離れて行くことと比例する」と我が師は語られましたが、段々と母の視界から遠ざかって行きますね。いつまでも手元に置いておくことはできません。その子どもと永遠に共に住まう御国の福音あってこそ母の願いは完結するのです。