めぐみのパンくず

“この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。 イエスは酸いぶどう酒を受けとられると、「完了した。」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。” ヨハネ19:28,30

◎十字架上の五番目と六番目のお言葉です。「わたしは渇く」とイエスさまは言われました。喉がカラカラだったことは当然ですが、霊的に「魂への渇き」人々の救いを願っての叫びでした。

◎イエスさまは十字架に架かられる前から喉の渇きを覚えておられました。引きずり回される裁判、鞭打たれ、十字架を背負ってゴルゴだの丘への行進。マルコ15:22では兵士が見かねて「没薬を混ぜたブドウ酒を与えようとしたが」飲まれませんでした。なぜでしょう。十字架における救いを完成されていなかったからです。

◎「渇き」はこの世だけでの問題ではなく、永遠につながる所の問題です。マタイ25:にはすべての人が御前に集められて「羊と山羊」を別けられる時が来ることが記されています。イエスさまのお言葉のその評価は「最も小さいもに(子供だけではない)したものはわたしにした」ですが、その対象の一つに「わたしが渇いていた時にわたしに飲ませ」と言っておられます。そこには、イエスさまの名によって成された愛の業が列挙されていますが、このこともイエスさまの渇きを癒すことにつながるのです。

◎「渇く」と叫ばれた後、酸いぶどう酒を受けられ「完了した」と息を引き取られ霊を神さまにお渡しになりました。十字架は救いを完成したのです。今も天の祈りの場で、魂を渇くほどに慕っておられるのです。

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