めぐみのパンくず

“イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。”

                  ヨハネ12:47

◎イエスさまの話を聞き、しるしを見たにかかわらず信じなかったユダヤ人たちを、旧約の預言者イザヤの語った通りだとヨハネは言いました。イエスさまより700年前、イザヤはイエスさまを見ていたのです。38節40節のみことばは、イザヤ53章と6章からのものです。そこには十字架を目の前で見たかのように記されてあり、また預言者イザヤ自身が神さまの栄光の前に、自らの罪深さを熟視させられおののいた姿が記されています。興味深いことはヨハネがその二つの出来事を「イエスの栄光を見た」と言うのです。

◎ユダヤ人の中には信じた者もありました。しかしながら告白までには至らなかったとヨハネは言います。原因は仲間外れにされることを嫌い、人を恐れ、神さまからの栄誉を望まなかったからだと。そのユダヤ人たちに声を大にしてイエスさまは語られました。未来のことについてです。

◎「終わりの日にさばくものがある」と未来をさして。イエスさまご自身は、不信仰をさばくことはされませんが、「わたしが話したことばが」さばくと言われました。なぜならイエスさまの語られたみ言葉は父なる神さまの命令のことばだからです。すべてのものは神のみ言葉の前に引き出されるのです。ですから、キリスト者は常にみことばに触れていなければならないと思います。

◎私たちキリスト者のさいわいは、父なる神さまがイエスさまに語れと言われたみことばが「永遠のいのちであることを知っているということです。

◎預言者は来たるべきイエスさまを見ました。キリスト者は来て下さったお方を見、お会いするべきイエスさまを見ているのです。

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