日別アーカイブ: 2014年6月29日

めぐみのパンくず

“だが弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか”

ルカ15:32

◎父について考えてみたいと思います。よく言われることですが、日本には素晴らしい母親像は見られても父親像は見つけにくいと言われます。そこで、キリスト者が信じる父なる神から、真の父とは!を考えましょう。

◎旧約聖書の父なる神は義なる神を徹底されたお方だと言えるでしょう。(他のご性質も表されていますが)。その代表がモーセを通して現された十戒です。聖なる神さまの前に出て行くためにはそのままで出て行くことはできませんでした。厳しいお方出ることを聖書は語ります。罪びとがイエスさまの救いにあずかるためにはここを通らされます。信仰によって義とされること、神の子どもとして新生する前に、神の前にそのままでは出ていけない自分を知らされるのです。律法の前に立ちはだかることが出来なかったイスラエル人、聖なるお方に触れただけで打ち殺されたウザ(Ⅱサム6:)。父なる神はご自身が義であるお方を現されます。

◎新約聖書の父なる神は愛なる神さまを全面的にあらわされます。(ヨハネ3:16)罪に死に滅びゆく存在であった人間を赦し、受け入れて下さる父です。放蕩息子の帰還の記事はそのことをよく現したたとえ話ですね。

罪に死に、律法の前に立ちえず、己が欲望のまま生きていたものを、悔い改めて立ち返るものを無条件で受け入れて下さる父なる神さまです。行きつくところは滅びであり、向きを変えて父なる神に立ち返るものを抱きしめてくださり、汚れた着物(人格)を着換えさせ、裸足で汚れた足(間違った歩み)に靴を履かせて下さり、神の子となる契約の指輪をはめて下さるお方です。そして祝われるのです。